2010年12月04日

その7「別れたあとの共同子育て」

「別れたあとの共同子育て」

棚瀬一代『「クレイマー、クレイマー」以後」(1989年)のサブタイトルとして使われた言葉。
その後、あまり一般化していなかったけれど、法律用語の「共同監護」が当事者間でも使われるため、普及しなかったというのもあると思う。
「共同監護」という言葉では、実際、世間的には何を言っているのかよくわからないけれど、この言葉であれば、離婚後に別居親が求めるものの中身の多様性を確保できるのではないかと、最近思っている。


「共同養育」


この言葉も最近当事者の中で使われる。
共同親権という言葉が、現在の親権概念の延長線では貧困さをぬぐえないことから、最近は一般的になってきた。共同親権という決定権の共有化を求めるのは、共同の養育にかかわるための手段なので「共同養育のための共同親権」が運動の目標でもある。
もちろん、「養育」には、子どもの人格形成に影響を持つものとして、単に金を出すということだけではない意味もあるわけなのだけれど、事実母子家庭側が、「養育」と強調するときは、「養育費」だった。そうなると、別居親の父親は「会えなくっても黙って金を払っておけ」という論理がまかり通ってしま う。少し誤解を生みやすい。


「並行養育」


「共同養育」といっても、実際仲が悪くて離婚するのに、できるわけないという疑問は当然ある。
しかし実際は、共同といっても、お互いの取り決めがしっかりしていて、子どもが自分のところにいるときにだけ、子どもの責任を持つのであれば、後は受け渡しのトラブルさえ未然に防げれば、共同養育は可能である。これを「並行養育」という。
裁判所は、「協力できなければ面会交流は無理」という理屈だが、実際には「ルールがあれば将来的に協力も可能」なのだ。
「非関与という協力」があれば、共同養育はほとんどのカップルで実現できる。


「共同監護」

「監護権」は親権の中で「身上監護権」を意味するが、実際には、司法の中では「監護」は単に「身の回りの世話」という程度でとらえられている。
つまり「監護」は親だけができるというわけではない。
里親や、あるいは再婚家庭でも、「監護」はできるから、「子どもの福祉」のために、別居親の存在が排除されてきたのはそのためである。
この「監護」概念では、身の回りの世話に携わっていない父親が、離婚時に子どもを争った場合には、不利になるのは当然である。しかしその父親自身も、長時間労働で子育てにかかわりたくてもできないのかもしれない(あるいは、もともとそういう気がないのかもしれない)。
そもそも、親どうしの「子育て観」の違いによって、離婚に至る夫婦は多いのに、離婚後も一面的な裁判所の「監護」概念に別居親が擦り寄る必要もない。
実際上の「別れたあとの共同子育て」にどうかかわるかというのは、それでも親どうしのすりあわせが必要だろうけれど、別れた後に、自分が「子育て」にどうかかわっていくのかというのを、あらためて考える親は、同居親も別居親も多いのではないだろうか。これまで子育てにかかわってこなかったのが離婚の原因なら、今からでも遅くないから、子育てをさせればいいのだ。
法律用語に振り回されるよりも、「別れたあとの共同子育て」をどう実現していくかという視点から、法制化も考えていかないと、結局当事者も、法律家の論理に振り回されていくことになるだろう。


「別居中の単独監護」


ちなみに、裁判所は別居中の監護について、766条を類推適用して「監護者指定」の審判をする。
親権から監護権を引けば、残るは財産管理権だけなのだから、こういった裁判所の運用は、事実上、婚姻中の共同親権すら裁判所が侵害しているということになる。事実上、単独親権になってしまうのだから。
子どもを連れ去られて会えなくなった親は、法に定められた権利すら行使できない。これは法制化以前の問題である。
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その6「引き離し」

「引き離し」

離婚や別居で、同居親側の連れ去りや面会拒否で親子が会えなくなった状態を言う。児童相談所が子どもを保護するときも、この言葉が使われるようだ。
以前は、「会わせるべきかいなか」という同居親側の論理と別居親はたたかっていた。しかし、「引き離し」という言葉そのものによって「会わせない」ことに必然的にマイナスの価値が付与されたため、別居親子の離別の問題を社会問題化し、また人権問題としてクローズアップすることに貢献した。
最初、ぼくもこれを聞いたときは、「大げさな」と思ったけれど、たしかに破壊力のある言葉である。
別居親当事者の中には、「引き離し歴○年」という使い方をする人もいる。


「面会交流」


他方で、別居親子の交流については「面会交流」という言葉が使われる。
例えばアメリカなどでは、離婚後の子どもの養育を指して「ペアレンティング」という言葉が使われるようだ。「面会交流」という言葉自体も、離れた状態をどうつなぐのかという意味が付与されており、つまり、子どもの養育をどう分け合うか、担い合うかという感覚ではとらえにくいので、言葉としてはやはり一定の価値観に基づいた貧困さを伴う。「ペアレンティングタイム」を分け合うことが共同養育だ。

とはいえアメリカにおいても、ビジテーション(訪問権)という言葉から、別居親の権利が考えられていたように、日本の用語も後追いしているということなのかもしれない。
最近最高裁は、「面接交渉」という法律用語を「面会交流」に置き換えた。


「面接交渉」

別居親子の交流をさしての法律用語。
これを権利とみなすことには未だに裁判所には躊躇があるようで、「子どもの福祉」の観点からやすやすと制約されるのが裁判所判例のこれまでであった。民法に明文規定がないというのが大きい。
そもそも言葉自体が混乱を引き起こす。
「面接」するのかそのための「交渉」をするのか。ぼくも最初弁護士に聞いて確認したことがある。
「面接」というと就職試験を思い出すように、まだ「面会交流」のほうがまだ当たりがいい。


「片親疎外」

子どもが別居親を忌避し、会いたくないと言いだし、それが同居親の影響を受けたものであるとして主張されたのが「片親引き離し症候群」(PAS)。アメリカでは現在、これを心理学上の症状と認定するかどうかで論争があるそうだが、いずれにしても、そういう現象があることは事実で、最近は、「片親疎外」(PA)と呼ばれるようだ。
アメリカでPASが否定されているという論文を見つけてきて、日本でそういう主張をすることは失当だと主張する弁護士もいる。細かい話は英語の読める専門家に任せておけばいいが、「そもそもそういうこと子どもが言いだすこと自体が問題でしょう」という視点が欠けていれば、論争は意味がない。
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その5「人質弁護」

「人質弁護」

子どもを片親から引き離した上で、子どもとの面会を取引材料にして離婚を迫ったり養育費の増額や慰謝料を求めたり、面会条件を有利に引き出そうとする人質取引で、弁護士が主体になって行われるものを言う。
相手方に弁護士がついた途端に別居親が子どもと会えなくなり、「人質弁護」がなされることも多い。

刑事事件で、容疑者の身柄を確保した上で、取調べで自白を強要したりする行為を人質司法と呼び、冤罪の温床になると人権派弁護士は批判し、日弁連も同じく批判してきた。
「人質弁護」は弁護士が主体になる人質取引としてこの「人質司法」を引き合いに出して名指した言葉。ある弁護士は、「言いえて妙」と言っていた。


「人質調停」

同様に子どもとの面会を取引材料にして行われる調停の席での人質取引を「人質調停」と呼ぶ。人質取引を行うのは、何も弁護士だけではない。

なぜ「人質弁護」がなされるのか

弁護士の仕事は依頼人の利益を最大限に引き出すことである。
単独親権制度のもと、子どもの身柄を確保した側の弁護士が、依頼人(多くは母子)の利益を引き出そうとすれば、当然、離婚後の安定した母子の生活のために、慰謝料や養育費をたくさんとることが目的となる。なにしろ母子家庭の経済的な苦境は当然にして予測できるのだから。それまで専業主婦であれば、仕事を得るまでの経済的な安定は必要条件だ。女性が低賃金で不安定な労働を強いられる社会構造も、こういった傾向を促す。もちろん、そうすれば弁護士の報酬も多くなる。熱心な弁護士であればあるほど、「人質弁護」をしてしまうという構造にある。
もちろん、男性の側からみれば、それまで仕事一筋でやってきて、妻からは愛想をつかされ、離婚前後にかかわらず子どもにはかかわれないとすれば、自分が「現金自動支払機」のように感じてしまう。これはそのカップルだけの問題だろうか。
養育というものが「子育て」ではなく経済として考えられていたがために、別居親子の権利は軽視されてきた。したがって、まず弁護士たちが自分たちがやってきた行為の意味を捉え返すための言葉として、「人質弁護」は有効な武器である。
「人質調停」がなくなれば、別居中も子どもと会わせなければならなくなるはずで、そのためにはルールが必要ということになる。ガイドラインや法整備が必然的に求められていくことになる。
ちなみにこのような行為をアメリカでやれば、弁護士は懲戒の対象となるようだ。


人質取引は犯罪です

このような人質取引は、日本も批准している「人質をとる行為に関する国際条約」に違反していると考えられる。したがって犯罪である。
「第 1条1 人を逮捕し又は拘禁し及び当該逮捕され又は拘禁された者(以下「人質」という。)の殺害、傷害又は拘禁の継続をもつて脅迫をする行為であつて、人 質の解放のための明示的又は黙示的な条件として何らかの行為を行うこと又は行わないことを第三者(国、政府間国際機関、自然人若しくは法人又は人の集団) に対して強要する目的で行うものは、この条約にいう人質をとる行為とし、犯罪とする。
2 次の行為も、この条約において犯罪とする。
(a) 人質をとる行為の未遂
(b)人質をとる行為(未遂を含む。)に加担する行為」
posted by 家裁監視団 at 00:06| Comment(0) | 親子の引き離し用語集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする