2010年12月06日

作原れい子(千葉家裁)編

平成21年5月28日、千葉家庭裁判所家事審判官、作原れい子は、
Hさんに対して2人の子ども達との面会を、年3回と定めた。

Hさんは、子供たちを連れ去られた後に望まぬ離婚をした。
調停離婚が成立したときには「月に2回、宿泊ありの面会」が明記されていたが、
それが履行されたのは1年ほどで、その後は不履行が続いていた。
面会条件履行の調停低申立は相手方の拒否により不調に終わり、
その後の審判の結果が冒頭の「年3回」である。

作原れい子についての今回の記事では一方的に糾弾する内容ではない。
しかし、不透明で不当な家裁の実情と運用、
迷走する審判官の姿が浮き彫りとなってくる。

Hさんは、連れ去りにより突然子どもと引き離された。
もちろん、Hさんに有責性はない。
むしろ、Hさんの相手方は同じ職場の妻子ある男と不倫関係にあり、
Hさんの子ども達を巻き込んでいた。半同棲生活や不倫旅行に同行させ、
この交際を口止めして子ども達をノイローゼ状態にしていた。
子どもはストレスで自らの指の爪を全てむしってしまう自傷行為をしていた。
相手の男はその後自らも家出し、離婚成立後、Hさんの相手方と再婚。
同時に養子縁組して養父となっている。
そしてそれを前後にHさんと子ども達との面会を拒絶した。
その様な状態での「年3回」である。
この審判は一見「面会できない状況を少しでも打破している」
と見ることもできるが、その経緯には様々な問題を抱えていた。

この作原れい子という審判官が関わったのは、
この面会交渉申して立ての事件だけではない。
Hさんは前述の経緯が子どもに与えている影響を看過できず
親権者変更の調停申立をしている。
作原はこの事件も担当している。作原は期日に相手方を呼び出さなかった。
それだけではなく、事件自体を伝えていない。
期日にはHさんのみが出頭していた。
そして作原はこう告げたのである。

「これは取り扱いません。帰りなさい。面会交流の調停なら扱う」と。

事件番号、期日が決まっている申立に対して非公式な席で
Hさんを追い返したのである。
作原はHさんに、調停を行うこともその後の審判で
審議される権利すら否定したのである。
こうしてHさんは子ども達を救うことを絶たれた。

その後の面会履行調停を担当したのもこの作原である。
作原は調停が始まってから2、3回後には自ら調停を取り仕切った。
これは一般の調停では珍しいとされている。
調停室には調査官と作原がいて、調停委員は不在、
そんな状態での調停の進行だった。
「少なくとも、今の不履行の状態は何とかしなければならない」としつつも、
履行させるわけでもなく、相手方と「どの程度なら面会させてもよいのか?」
という話が大半だったという。
作原はHさんに
「離婚した親が子どもの教育や生活について口を出すのは言語道断」
とHさんの発言をさえぎり、調停では一切発言させないこともあった。
調停期日の大半は作原と相手方との話に費やされた。
その結果の不調である。この時点ですでに不履行は1年以上となっていた。
 
その後の審判では審問期日を設けず、
調査官調査の内容は“結論ありき”の不自然な飛躍がある結論であった。
不履行は放置されるばかりか調停と審判の長期化により、引き離しは助長された。
結果、年24回あったはずの面会は8分の1の3回に激減した。
主たる理由は「監護親が嫌がっているから」である。
高等裁判所もこの審判結果は支持された。 
 
調停、審判を門前払いし、不履行を放置、追認した上で、
監護親の一方的な拒否に迎合する形での面会制限。
一方で例外的な面会調停の取り仕切りや、面会はされるべきとの方針。
無責任なのか、引き離し助長をしたことへ責任を感じているのか分からない。
引き離される親子の悲しみを理解しているのか、子どもを精神的に虐待し、
面会不履行の監護親を支持しているのか。
傍目からは迷走状態である。
その真意、経緯、理由は誰も知ることはできない。
裁判官は独自性を保証されており、
下した判断で当事者がどうなろうと責任を持つ必要が無いからである。
この不透明性、暗黒性こそが、現在の家裁であることは間違いない。
(望月 蓮)
[「共同親権運動」2010年4月号]
posted by 家裁監視団 at 00:36| Comment(0) | 裁判官に気をつけろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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