2010年12月06日

本間陽子(横浜家裁)編

4年前、私には当時、
2歳になるかならないかの男の子が1人いましたが、
仕事のために自宅を不在にしているとき、
元妻が子どもを連れて実家に戻ってしまい、
その後一切の話し合いにも応じようとせず、
2週間ほどで弁護士をつけ、いきなり離婚調停を申し立てられました。
そしてこれが、私のいまだに続く裁判所とのかかわりの始まりでした。
 私も子との面会交流の調停を申し立てたので、
元妻の申し立てた離婚及び婚姻費用請求の調停と、
私の申し立てた面会交流の調停が一緒になって、
東京家庭裁判所八王子支部(現立川支部)において
話し合われることとなりました。
実は私は、このことがあるまでは、日本の法のシステムというものに対して、
漠然とした安心感・期待感を抱いていました。
親族に裁判官、検事などがおり、
私の姉も地裁の鑑定医の仕事などもしていますし、
私自身、大学院で法律を学んでいたこともあって、
法律というものをより身近に感じて生活していたので、
自分の味方になってくれるものという意識が心の底にあったからです。
きちんと話をすれば分かってくれるはずだと思っていました。
しかしそのような考えは、調停が始まり、
家事審判官(家庭裁判所の裁判官)の本間陽子や
その取り巻き(調停委員、調査官)と接するにつれ、
単なる幻想に過ぎないということを嫌というほど思い知らされました。

 元妻が申し立てた離婚原因は4つです。
「思いやりがない、感情を剥き出しにする、
嫉妬深い、独占欲が強い」、慰謝料として300万、
養育費月10万というものでした。

本間陽子は2回目から調停に顔を出しましたが、
まず彼女に言われたことが「こんなことを裁判所に持ち込まれて迷惑だ」でした。
私としては、そういうことは申し立てた相手方に言うべきだと思うのですが、
離婚調停や面会交流を申し立てること自体が
「家裁にとって迷惑」と言い切ってしまう家裁審判官に対して、
怒りを通り過ぎて唖然とするしかありませんでした。

子どもとの面会については、私としては、
離婚は両親の別れであって、親子の別れではないのですから、
頻繁な面会を定め、調停条項もできるだけ細かく規定し取り決めておきたい旨を、
諸外国の具体的な面会交流プランや日本も批准している「子どもの権利条約」などを、
臨床心理士に書いて頂いた意見書も添えて説明しましたが、
彼女はまったく聞く耳をもとうとしません。

「ハーグ条約? 刑事罰なんかなりませんよ」

 国際条約は憲法よりは下位ですが、
法律よりは上位に位置づけられることは法律を学んだ者の常識ですが、
子どもの権利条約の話をしても、まったくの馬耳東風で聞く耳を持ちません。

「子どもが小さいうちはお母さんが育てるのが当たり前」、
「どちらが良いとか悪いとか言えません」

とのことなので、

「どちらが良いとか悪いとか言えないのであれば、
子どもとの関わりにおいてもフィフティ・フィフティにすべきではないのですか?」

と言っても、こちらの質問にはまるで答えません。
更に

「子どもに会う会わないを決めるのは私(本間)です。
審判になっても月1回以上の面会はでませんよ!」

と言われました。
いやしくも、裁判官が審議にも入っていない調停の段階で、
一方当事者に対してこのような結論を臆面もなく発言して
許されるものなのでしょうか? 
江戸時代の奉行所の方がまだ公平なのではと思います。 

生まれたばかりの子どもの産毛を使って記念に筆にしたものを、
妻が私のもとから自分のもとへと送ってくるように
言ってきたことがありました。

「親権者になる奥さんのもとに置いておくのが筋でしょう」
「あなたは面接については明文規定がないからと言いましたよね。
子どもの筆は親権者の手元に置くべしと法に書いてあるんですか」
「……筆一本で訴訟にしますか」
「筆一本で訴訟にします」

 結局、この言葉を本間が相手に伝えました。
それに対する本間の説明が振るっています。

「奥さん譲歩しましたよ……」

 結局本間の一貫したスタンスは、落とせそうな方を落とし、
早く事件を片付けたい、この一点に尽きると思います。
 法を司る者のこれらの言動すべてが、
もはや司法上の原則とは無縁のものであること、
むしろそれは法治国家の原理を完全に
ないがしろにしていることを証明していること、
この点において私は本間陽子は
ナチス民族法廷長官ローラント・フライスラーと
なんら変わるところのない人間であると考えます。

私は税理士をしていますが、
国民は「調停を申し立てたら迷惑です!」と公言して憚らない
家裁判事を養うために税金を払っているわけではありません。
このような知識も智慧もない裁判官が、
国民の司法に対する信頼を著しく失墜させ、
社稷を危うくするのです。           
(江田島平八郎)

[「共同親権運動」2010年2月号]
posted by 家裁監視団 at 00:29| Comment(7) | 裁判官に気をつけろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私も本間が八王子支部にいたとき息子の離婚調停と親権について裁判を受けました。貴殿の言うとおり本間は偏った先入観(母親優先)の自己的な基礎概念に
基づき全て判断しています。明らかな先入観から来る誤判断です。こういう裁判官を税金で養っていることに不満です。
Posted by ケン at 2012年08月16日 18:36
コメントありがとうございます

裁判官には固まりとしての家族しかみないので
中で虐待があっても、親が会いたいと言っても、
無視する傾向にあり、それが人権侵害とは理解できません。

本間裁判官についての
苦情はほかにもたくさん寄せられています。
被害者が増え続けないためにも、
こういった裁判官の監視体制が必要です。
Posted by 家裁監視団 at 2012年09月04日 06:48
こういう判事の判決には納得できないと思います。
控訴した場合、一般的に地裁の判決が尊重されると聞きましたが、こんな理不尽な判決でも、そのまま「尊重」されてしまうんでしょうか?結局それも担当判事によるのでしょうが、こうした理不尽な判決を控訴した場合、裁判がどう展開するかが知りたいのですが?(確率だけでも)
Posted by at 2015年08月13日 22:47
高裁の役目は一審の決定をチェックする
ということですから、あまりに理不尽な決定を
一審がする場合にはひっくり返る可能性もあります。
最近は、一審段階の0面会について、
東京高裁などで面会をさせる決定が出る事例も
あるようです。
高裁の場合は家裁と違って3人で担当するので、
家裁よりは期待できる部分もあるかもしれません。
ただそれもたしかに裁判官次第という部分はあるのは
その通りだと思います。
事実認定に誤りがなかったりすると、
面倒なのでそのままの決定を維持することは
少なくないのも事実だと思います。

この裁判は調停段階で終了したものですが、
あまりに理不尽な裁判官の発言については
苦情処理として総務課に訴えたり、
所長に手紙を書いたり、
あるいは、忌避申し立てをしたりすることもできます。
また0回答の面会については高裁で
「この事例で交流断絶にする理由がない」と
きちんと主張することも必要でしょう。
不明な点は家裁監視団にご連絡ください。

裁判官は親ではありません。
「子どもに会う会わないを決めるのは私(本間)です」
などという発言自体が、親の幸福追求権を無視し
憲法違反ですので、暴言そのものです。
また別居親の権利性を認めない差別です。
Posted by 家裁監視団 at 2015年08月14日 08:03
ありがとうございます。大変参考になります。
Posted by at 2015年08月14日 14:02
今、コメントした者です。
「忌避申し立て」を調べてみますと、現実にはあまり機能しなそうです。
http://okwave.jp/qa/q525043.html

忌避が認められることは少ないのを承知の上で申し立てるのは、忌避の申し立てによって裁判官がより公平な判断を求められ、結果として忌避を申し立てた側に有利な判決が下りることを期待する場合。

だそうですが、ここで問題の判事にこれは期待できなそうに思います。
Posted by at 2015年08月14日 14:58
裁判は自身の思った通りのように進まないのは
当たり前のことです。
効果を期待してやるやらないを決める、というのも
考え方ですが、
効果はともかく意思表示をしてやった責任は
自分で負うというのも一つの考え方です。
ご自身でお決めになるのがよいと思います。
Posted by 家裁監視団 at 2015年08月14日 15:04
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