妻の代理人(霜越優)は「妻は少し遅れると連絡がありました」と言い、審問を待ってくれるように裁判官へ頼んでいました。
夫は「妻のツイッターには、寝坊したと書かれている」と言いましたが、中山直子裁判官は「電車が遅れているそうです」と言い始めました。
夫は、そのような事実はなく、妻が「寝坊した」とツイッターに書いていると再度申し述べ、夫代理人(土井浩之)も「スマホで確認しても、電車遅れの情報などは確認できない」と言いましたが、中山直子裁判官は「電車が遅れている」と言って憚りませんでした。こうした短いやり取りだけを見ても、ああ、この裁判官は、なんでもかんでも母親忖度の判断しかしないんだな、ということがわかりました。
裁判所が「密室」と思って、誰も主張していないことや事実と異なることを、自分が思ったとおりに決めつけてしまう。これが裁判官特権の「自由心証主義」なのでしょうか。そして、事実は違うと言い返すと、裁判官は怒りまくるのです。それは正当な怒りではなく、妻と同じ「自己愛憤怒」に他なりません。事実は違うのに、裁判官が思ったとおりの虚構の筋道を否定されると怒りだすのです。
そんな態様なので、誠実に対応して事実を話そうとする人が、自己愛憤怒の犠牲となってしまいます。
とにかく、夫が経験したことは、家庭裁判所は「家族破壊工場」のようなものだということです。裁判官のあやしい判断が既成事実化されたものが甲●であり、我が子の幸せにはなんの役にも立たないものでした。
インターネットを徘徊すると、同様の「被害」を受けている国民は少なくありません。結論ありきで審判や判決が下され、それに合わせるような形で調査官報告書が恣意的に作成されてしまう・・・そんな話を夫も知ってはいましたが、実際に経験者となると、そうした逸話はすべて真実でした。当時の調査官は、我が子が話す、妻からの虐待や片親疎外の実態について「夫がそう言っているだけ」という感じで、深く調査しようともせず、夫が用意していた録画や録音を最後まで検証しようともしませんでした。なぜならば、「母親に子どもを戻す」という結論が始めからあったからでしょう。結論が先にあったからこそ、調査官は夫の言い分を聴くことは途中でやめてしまったです。(佐久間博秀)